Behind the Camera

この映画を撮ろうと決心したのは、2011年3月11日のあの大地震の日だった。テレビに映し出された想像を超えた映像に呆然となり、自分自身がそれまで依って立っていた礎がすべて崩れ去って、虚空に投げ出されたようだった。多くのメディアはこの自然現象に対して、津波が人間の敵のような論調で多くの命が失われた無惨な現実を伝えていたが、私は違和感を覚えていた。自然は、海は、地震は、人間の命を奪うのか。人間は自然を、自分たち自身を、どのような存在としてとらえればいいのか。その一つの大きな『キー』となるのが、死生観なのではないか•••そう感じた。

OCEAN, LIFE, DEATH•••
私たち人間にとっての根源的なテーマを携えて、旅に出ようと決心した。その旅のデスティネーションは海に人生を捧げた人間だ。海の喜び、そして恐怖。その両方を知っている人間。命の儚さ、死に近づいた体験、生の喜び。人間がコントロールできない大自然の中で生きぬいて来た精神は、「自然」を「生」をそして「死」をどのように受け止めているのか•••。

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Photo from Aloha Death

2013年3月、旅は始まった。

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Hideaki Ishii and Dick Hoole
Photo from Aloha Death

旅はオーストラリアから始まった。旅に同行したのは大先輩であり師匠である石井秀明氏とディック•ホール氏。30年前にインドネシアの奥地を共に冒険した二人だ。

「出来事は起こるがままに任せる」そう心に決めてオーストラリアまで来たものの2週間たっても何も起こらず、私はかなり焦っていたのだが、その時やれることを精一杯やるのだと自分に言い聞かせて、朝な夕なに海や空を撮影し続けていた。

ある日、早起きして朝日を撮っていた私にディックさんが、声をかけてきた。「これからゴールドコーストへ行くけど、一緒に来るか?」数時間後、私たちはゴールドコーストの静かな住宅街にいた。そして、あるこじんまりとした家から現れたのは、上品な老婦人だった。ディックさんと老婦人は親しげな雰囲気で話しながら写真やらポスターなどを持ち出して車に積み込んでいる。

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Joan Peterson
Photo from Aloha Death

何が起こっているのか分からないまま私はカメラをまわし続けていた。そして最後に白黒チェック柄の小さなショッピングバッグを老婦人がディックさんに渡した。帰り道、ディックさんに事情を訪ねると、その老婦人はオーストラリアを代表する伝説的サーファーであり2012年に亡くなったマイケル•ピーターソンの母親だということだった。そして、その小さなショッピングバッグに入っていたのはマイケル•ピーターソンの遺骨であり、私たちはその遺骨を2000キロ以上離れたベルズビーチまで届けなければならないということだった。

ベルズビーチはサーファーにとっての聖地だ。その神聖な場所で世界中のトップ•プロ•サーファーが集まる大会が予定されていて、その期間中に散骨のセレモニーが行われるというのだ。マイケルピーターソンの母上もその儀式に参加するのだが、オーストラリアでは遺骨を飛行機で運ぶことができないので、ディックさんが運ぶことになったのだ。片道2000キロ。助手席でその遺骨を抱えながら、私は本当の旅が始まったことを悟った。

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Michael Peterson
Photo: Dick Hoole

オーストラリアは広い。実際に車で走り出してそう実感した。ディックさんは旅の途中で様々なサーフショップに立寄り、自分で作った映画のDVD を営業したり在庫を補充したりしていた。それがその季節の彼の仕事でもあるのだ。 走れるところまで走ってモーテルに泊まったり、ディックさんの友人の家に泊まったりしながら、旅は続いていった。そして様々な人々と出会った。

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Albert Falzon
Photo from Aloha Death

幸運にも最初に出会う事ができたのは「MORNIG OF THE EARTH」という伝説的な映画を制作したアルバート•ファルゾン。彼の家を訪れたのは、大粒の雹と雷雨に見舞われた後の美しい夕暮れ時だった。透明な光を浴びて野生のカンガルーと仲良く交流するアルビーはおとぎ話にでてくる翁のようだった。

インタビューの中で『死』について語る彼に恐怖の色は見えなかった。彼の青く澄んだ眼差しは「魂の永遠性」を確信しているように落ち着いていたし、穏やかだった。そして、そのような人間と過ごすことで、私の心も落ち着き穏やかになっていた。私たちは共に濃密な時間を過ごした。気がつくと日没も近づき、そろそろ帰ろうという時になって、ディックさんがやおら車の中から例の小さなバッグを持ち出して、中のプラスチックケースから遺骨を取り出し、アルビーに見せた。

神妙な面持ちで、両手で包み込むように遺骨を受け取り、私たちのもとを離れたアルビーはしばらく物思いにふけり、おもむろにその遺骨を大地に撒いた。インタビューの時の強い雰囲気は消え去り、少し、寂しそうな彼の後ろ姿が印象的だった。

悲しみも喜びもどんな事が人生で起ころうと日々は続いていく。旅の行程ではその感覚がより強烈になる。私たちは旅の往路の約半分くらいまできていた。

私たちが次に出会ったのは、テリー•フィッツジェラルド。オーストラリアを代表する名サーファーだ。私たちはシドニーの北の美しいビーチで彼と出会った。

時間通りに現れた彼は非常に陽気だったが、インタビューが始まり、「死」についての話になると様子が変わり、シリアスな雰囲気になっていった。

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Terry Fitzgerald
Photo from Aloha Death

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Terry Fitzgerald at Sunset Beach
Photo courtesy Terry Fitzgerald

そして、抜けるような青空の下、最愛の息子との死別のことについて語った。ファインダーの中で彼の瞳はとても美しくて優しかった。愛する対象を失うことには、喪失感と悲しみがともなう。そして、その喪失感や悲しみを伴わずに、愛することはできないのかもしれない。「生」と「死」がセットになっているように、「悲しみ」や「喪失」は「愛」とセットになっていて、どちらか一方だけでは存在できないのかもしれない•••。 私たちはさらに南へと向かった。

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Terry with his sons
Photo courtesy Terry Fitzgerald

その後も淡々と旅は続いた。そして、ついに私たちはベルズビーチに到着し、無事、セレモニーの主催者にMPの遺骨を届けることができた。 セレモニーは世界中から集まったサーフィンの選手たちや観客が見守る中、厳粛に行われた。そして、実際に海に出て散骨したのはMPの弟トミーだった。

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Michael with his brother
Photo courtesy Joan Peterson

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Ash scattering ceremony
Photo from Aloha Death

ディックさんが沖の散骨の模様を撮影し、私はMPの母上のそばで撮影していた。散骨の瞬間、沖を見つめながら、サングラスの奥で涙が流れているのがファインダー越しに認識できた。自分よりも先に旅立った息子を憶う母の気持ち、その気持ちの深さは私の想像を超え、ただ、ありのままのその姿が純粋に感動をもたらし、その場を神聖な空気で満たしていた。散骨を済ませ、浜にあがってきたMPの兄と母は手をしっかりとつなぎ合い会場を後にした。その姿はとても美しいものだった。

その後も幾人かのレジェンドと出会いながら旅は続いた。数えきれないほどの美しい夕日。美しい人間。星空。朝日。そして様々な表情の海。結局私たちはオーストラリアの大地を5000キロ以上走った。

2013年5月。
私たちの旅はカリフォルニアへと続き・・・

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John Peck
Photo from Aloha Death

ディックさんもオーストラリアから合流した。カリフォルニアの旅で非常に興味深い出会いだったのはジョン•ペックとの出会いだ。近代サーフィンの始まりから現在まで生き抜いてきた彼はサーファーであると同時にヨーガの達人であり、その雰囲気は超人のようだった。

「死への恐怖がこの世の多くのネガティブな問題を引き起こしている。そして、信念に勝る力はない」と語る彼の言葉はパワフルだった。別れ際、彼は私の頭を引き寄せると「第三の目」と言われる額の中心を私の額に強く押しあて「アローハ」と大きな声を出した。すると瞬時に、私の頭は熱を帯びて全身の毛穴が開き、腹の底から力がみなぎるような感覚が沸き上がってきたのだ。人から人へ注入されるエネルギー。宇宙から人へ降り注ぐエネルギー。それは目に見えないが確かに存在するのだろう。

2013年11月オアフ島。

リッキー•グリッグ氏との邂逅は私の人生に強烈な印象を残した。重篤な病気を煩い、自分自身が死を間近に控えていることを承知の上で、『死』について心情を吐露した彼の本意はいったいどこにあったのか•••。大波乗りの創世記を生きた伝説の勇敢な男はやせ細ってはいたが、エネルギーに満ちていた。人間の肉体は朽ち果てても、その肉体に生気を与えていたエネルギーは滅びないのではないか。ハワイでの取材後に訪れたオレゴンで、サーフィンの神様ジェリー•ロペスがその事を指摘していた。「エネルギーは永遠の喜び。」

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取材当日も発熱していたリッキーは私たちに肉体的な苦痛について吐露した。 「私はワイメアで10回近く溺れて死にそうになったが、もし可能なら大波の日に海で死にたいよ•••でも今ではそれもかなわない希望なのだ•••」 2時間を超える取材の間、ファインダーの向こうで語るリッキーは自分自身の 「死」と直面しながら、それを客観的な言葉で伝えようとしていた。その行為は勇敢で愛に満ちあふれていた。

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Ricky Grigg (top and bottom)
Photo from Aloha Death

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Ricky Grigg
Photo from Aloha Death

別れ際、玄関先まで見送りに出てきてくれたリッキー•グリッグが私の目を見つめながら、「君とはどこかで会ったことがあるよね」と問いかけてきた。その記憶がなかった私は「もしかしたら、前世でお会いしたことがあるかもしれません」と反射的にそう応えていた。失礼な返答をしてしまったかなと後悔していた私を、彼は微笑みながら静かに見つめていた。

2014年6月。カルフォルニア

私達は最後の編集作業に没頭する日々を過ごし、まさにリッキー•グリッグのパートを編集している時、彼の訃報を聞いた。モニターに映し出され、語り、波に乗り、イルカと深くまで潜り、笑顔を見せるリッキー•グリッグはもうこの世にいない•••。死を間近にした人間が発する透明感のあるエネルギーが、観る人一人一人に「感動」を届けることができると信じて、編集の海に再び漕ぎ出す••• 突然の訃報を受けて感情的になっていた私に、朝から晩まで毎日一緒に編集していたJPさんが語りかけた「俺たち、今のところ生きているよ•••」

ドキュメンタリーを撮ることは、一つの旅を生きることだった。成功、失意、怒り、喜び、悲しみ、共感、感動。生きる事で味わう様々な感覚を鮮明に感じた旅だった。そして長かった旅も終わりを迎えようとしている。始まりがあり、終わりがあり、そしてまた始まりがあり•••••ひとまず、「今」にさようなら。Pau for Now

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Photo from Aloha Death

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