ディック・ホール
オーストラリアを代表する映画製作者であり、カメラマンである。 盟友ジャック•マッコイとともに1976年に第一作「チューブラー・スウェルズ」を製作するかたわら、サーフィン誌「バック・ドアー」を創刊。続いて1982年に発表した「ストーム・ライダース」で世界中のサーファーにその名を知られることとなる。競技スポーツとしてのサーフィンの枠を超えた極めて純粋なライフ・スタイルとしてのサーフィン。そしてそこから派生するユニークでラジカルな文化。そういったものをクリエイティブな表現を通じて伝え続けてきた真のクリエーターである。
アルバート・ファルゾン
伝説のフイルム・メーカー。60年代後半からサーフィン映画を撮り始め、数々の名作を世に放った。中でも“Morning of the Earth” はその神秘的な雰囲気と形而上的な表現で史上最高のサーフィン・カルトムービーとして世界中のサーファーを魅了し続けている。
マイケル・ピーターソン
70年代、アマチュア、プロのトップコンペティターとして華々しい活躍をした伝説の名サーファー。オーストラリアの主要コンテストのすべてに勝利したただ一人のサーファーでもある。2012年に急逝。
ウェイン・リンチ
時代を代表するサーファーであり、シェイパーであり、まさに達人である。 特に、波の表面を縦に動くラジカルなライディング・スタイルはその後のサーフィンに大きな影響を与えた。また、神秘的なカルト・ヒーローとしてその行動は謎に包まれ、競技スポーツとしてのサーフィンやそれに付随する業界から距離を置き、精神性を重んじ、純粋にサーフィンを追求するそのスタイルで世界中のサーファーに大きな影響を与えた。
ダニエル・トムソン
革新的なサーフボードをデザインし、シェイプすることで注目を集める若きサーフボードシェイパーである。幼い頃から父であるマーク・トムソンや伝説のサーフィン・クリエーター、ジョージ・グリノーの影響を強く受けて育つ。その後、コンペティターとして活躍するも、現在はサーフィンの精神性をボードデザインとシェイピングの中に見いだし追求している。
ラスティー・ミラー
サーファーであり、写真家であり、ミュージシャンである。1965年の全米チャンピオンにも輝いた初期の名サーファーの一人であり、早くからハワイの大波にチャレンジしたビッグ・ウェーバーでもある。1970年にオーストラリアのバイロンベイに移住し現在に至る。新聞への執筆やサーフィン・スクールを通じて、環境保護活動にも力を注いでいる。
ジョエル・チューダー
2度のロングボード世界チャンピオンの座に輝いた経験を持つ。その活躍はコンテスト・シーンだけにとどまらず、クラッシックで優雅なライディング・スタイルで世界中にロングボードブームを巻き起こした若きカリスマ・サーファーであり、90年代後半以降のサーフィンカルチャーに多大な影響を及ぼした。
ジョン・ペック
世界で最も美しく危険な波が立つ聖地パイプラインの波を、バック・サイドでいち早く征服した名サーファーである。サーフィンとともに古くからヨーガを追求し世界中のサーファーに影響を与え続けている。
スティーブ・ペズマン
サーフィン・ジャーナリストのパイオニアであり、世界で最もハイクォリティ−なサーフマガジンである“The Surfer’s Journal”の発行人である。単なる娯楽やスポーツとしてのサーフィンを超えた世界観を美しい写真と硬質な文章で表現し、今もなお世界中のサーファーを啓発し続けてる。
スキップ・フライ
パイオニア・サーファーであり、サーフボード・シェイパーのパイオニアである。独自のシェイピング・スタイルでサーフボードをアート作品にまで高めた名匠であり、その乗り味は他の追随を許さず、マジック・ボードと呼ばれるほどである。
トム・カレン
80年代から90年代にかけて一世を風靡した正真正銘のカリスマ・サーファーである。そのスタイリッシュなライディング・スタイルとクールなルックスで世界中のサーファーのあこがれの的だった。3度の世界チャンピオンに輝くも全盛期にコンペティションの舞台から身を引き、フリー・サーフィンと音楽活動を中心とした独自のスタイルを確立。
ジェシー・ビラウアー
社会活動家でありサーファーである。1996年プロサーファーを目指していた彼はサーフィン中に首を骨折する大事故に見舞われ、胸から下の身体の機能を失う。その後、自身の努力と周囲の協力により腹這いになったまま漕がずにテイクオフできるボードを開発。仲間とともに波乗りを楽しみ、自己啓発活動に取り組んでいる。
マーク・カニングハム
ライフガードとして聖地パイプラインの海を長い間見守り続けてきた伝説的人物。ボディーサーフィンの名手でもあり、真のウォターマンである。
脇田 貴之
日本が誇るサムライ・サーファー。聖地パイプラインの大波に挑戦し続けて20年あまり、彼がテイクオフするポジションは’Wakita Peak’と呼ばれている。 世界中から選抜された真のビッグウェーバーだけが出場することができるエディー・アイカウ・メモリアルにも招待され続けている。世界が認める正真正銘のビッグ・ウェーバー。
ディック・ブリューワー
初期のビッグウェーバーの一人であり、サーフボード・シェイパーのパイオニアである。60年代後半、ロングボードからショートボードへの移行を実現したのは彼の想像力と技術があったからこそである。この革命的なボードデザインにより、サーフィンは新たなる次元を迎えることとなる。ジェリー・ロペスなど当時のスターサーファーに多大な影響を与え、サーフィンを精神的な行為にまで高めたのも彼の功績によるところが大きい。
石井 秀明
日本におけるサーフィン・ジャーナリズムの創始者であり、「サーフィン・ワールド」「スケートボード・ワールド」等の編集長を歴任する。80年独立後、「サーフィン・クラシック」を創刊。一方でアドベンチャー・サーフィンをテーマに映画プロジェクトをスタート、足掛け3年の歳月をかけて映画「アジアン・パラダイス」を完成させるも突然サーフィン界の表舞台から姿を消してしまう。その後は離島に小さな庵をむすび自給自足の生活を自らに課し、禅を始め東洋の精神的伝統を学びながら、修行のごとくサーフィンを追求し続けている。
ジョン・クラーク
サーフィン歴史家であり、ライターである。ハワイにおけるサーフィンの起源や歴史的変遷を探求している。
ケリー・スレーター
言わずと知れたサーフィン界の大スターでさる。11度の世界チャンピオンに輝きながら現在も世界中のプロ・サーキットを回る脅威のアスリートである。2013年シーズンは世界ランキング2位に甘んじたが、41才にしてそのパフォーマンスは健在である。
ランディー・ラリック
1976年、世界初のプロフェッショナル・サーフィンの国際組織IPSを誕生に導いた立役者の一人であり、ハワイで行われる世界最高峰のコンテストであるトリプル・クラウン・オブ・サーフィンのコンテスト・ディレクターを長年にわたり努め続けた功労者である。優れたコンペティターであり、サーフィン・ジャーナリストであり、サーフボード・シェイパーであったが、なにより世界のサーフィン界のリーダー的存在であり、オーソリティーである。
ジェリー・ロペス
サーフィン界でジェリー・ロペスの存在はあまりにも有名。映画「ビッグ・ウェンズデー」にも実名で登場し、神格化されたサーファーとして描かれている。70年代、世界で最も美しく危険な波が立つオアフ島の聖地パイプラインの大波を誰よりも優雅に乗るその姿からキング・オブ・パイプラインと呼ばれた。ヨーガの実践とサーフィンをとうして精神世界を追求し、類い稀な才能で自身の体験を表現し、世界中のサーファーに大きな影響を与えると同時に心の支えとなる。
ポール・ストラウチ
「近代サーフィンの父」と言われるデューク・カハナモクのサーフ・ティームの一人であった。ハワイの大波に早くから挑戦し、その美しいスタイルで後進のサーファーに大きな影響を与えた。またデューク・カハナモクから受け継いだアロハの精神を世界中のサーファーに広めた功績は大きい。現在はサーフィンの歴史を受け継ぎ未来へ伝えるべく活動している。
テリー・フィッツジェラルド
ショート・ボード革命の時期に彗星のように現れ、その個性的で革新的なスピードに乗ったライディングスタイルで世界中の注目を集めた名サーファーである。 1975年の全豪チャンピオンの座にも輝いたコンペティターでもあり、数々のサーフィン映画にも出演したスターである。サーフボード・ビルダーとしてもそのオリジナリティー溢れるシィピングで多くのファンを持つ名匠である。
リッキー・グリッグ
ハワイの大波を初期にサーフした伝説のビッグ・ウェーバーの一人。海洋学者であり、熟練のダイバーであり、海を知り尽くした正真正銘のウォーターマンである。ガンを患い闘病中であったが、自身最後のインタビューとしてカメラの前に立ち、海について、サーフィンの精神性について、そして生と死について静かに語った。
2014年5月急逝。
Presented by |
Wood’s Office Co., Ltd. |
OLM, Inc. OLM Digital, Inc. |
Production |
Wood’s Office Co., Ltd. |
Directed by |
Mamoru Kimura |
Executive Producer |
Tei Natori |
Associate Producers |
Michiaki Ishida |
Ichiro Miyamoto |
Water Photography |
Mitsuteru Kamio |
Ray Hollowell |
Jack McCoy |
Director of Photography |
Mamoru Kimura |
Cinematography |
Dick Hoole |
Matt Westcott |
Ichiro Miyamoto |
Contributing Photographers |
Mark Onorati |
Tony Harrington |
Pete Alport |
Timothy McCullough |
Mitsuhide Funaki |
Rintaro Tanaka |
Pat Myers |
Hiroyuki Houchi |
Kazuya Sato |
Music Director |
J.P. Plunier |
Edited by |
J.P. Plunier |
Supervisors |
Dick Hoole |
Hideaki Ishii |
Paul Strauch |
Randy Rarick |
Illustrator |
Yusuke Hanai |
Graphic designer |
Gen Sato |
木村 衛
木村衛 1962年4月19日生まれ。
幼少期を秩父の山中で自然児のごとく過ごす。18才でサーフィンと出会い人生観に大きな影響を受ける。その後、日本大学芸術学部に入学、映像制作を学ぶ。在学中もサーフィンに明け暮れ、特にサーフィン映画への興味を深める。1984年から10年間コマーシャル•フィルムを中心に映像制作に携わり、そのノウハウを学ぶ。仕事に携わりながらもサーフィン熱は高まり、1988年頃から八丈島を頻繁に訪れるようになる。そして1994年、八丈島に移住。2年間観葉植物農園で働きながら、サーフィン中心の生活を送る。1996年帰京。八丈島が縁でサーフィン映画監督であり、日本のサーフィン•ジャーナリズムの創始者石井秀明氏と出会い師事、ドキュメンタリーを学ぶ 。1999年頃から石井氏とともに4本のサーフィン•ドキュメンタリービデオを制作。主に編集、撮影として携わる。ファション関係の映像制作などを続けながら、2004年頃、DENJIRO SATO氏撮影、ジェリー•ロペス氏主演のショートムービー「Mana」に編集として参加。2005年石井氏編集の雑誌「波羅門」に副編集長として参加など、サーフィンのクリエイティブ表現にフォーカスしていく。そして2009年にはドキュメンタリー番組「25年後のアジアン•パラダイス」(WOWOW)を撮影、監督。2010年から2012年にはドキュメンタリー番組「東北大震災から1年〜そこに海があるかぎり」(WOWOW)を撮影、監督。
映画「Aloha Death」を着想したのは2010年。足掛け5年の歳月をかけて取材に明け暮れる。本作「Aloha Death」は長編ドキュメンタリー映画初監督作品である。
JPプルニエ
JPプルニエは、父親がコンゴ、スリランカ、日本などで働いていたことから、当時アメリカ西海岸で発生し始めた世界のサウンドトラックを追い求め1970年代にカリフォルニアに移住するまで、世界中を旅しながら育つ。
そんなJPだが、ルーツはフランスのブルターニュであり、実家はビーチから徒歩2分のところにあった。世界の大都市に住んでいるときでさえも、海から1時間以上かかる場所にはめったに住むことはなかった。現代のサーフカルチャーに多大なる影響を与えている3人のアーティスト、ベン・ハーパー、ジャック・ジョンソンそしてごく最近だとThe Growlersと作品を制作しているのは、そういった理由もあるかもしれない。
JP曰く、本作品のサウンドトラックとして収録されているピエ-ル・ファッチーニ作曲の「Each Wave That Breaks」は、間違いなく“リキッド・ミディアム (※注1)”の最も美しく、素晴らしさを実証する作品のひとつだと考えている。
彼自身もずっとサーファーであるが、音楽を、激しさから静寂へ、大荒れから美しさへ、そして猛威から優雅さへと、 刻一刻と変わり続ける海のリズムのように捉えている。
80年代に7年間写真家として活動していたことから、映像と音楽がどこかで溶け合いひとつになっていくということは、道理にかなっているのかもしれない。
そのようなことからJPは、今回『Aloha Death』を形作る一端を担う機会に巡り合えたことをとても感謝していると言っている。
最後に…
音楽は音声フォーマットの波である―― JPプルニエより
Pau for Now
(※注1)JPの詩的な表現で、この曲は「サーフィンという“液体の媒介”」に対する賛辞という意味です。
DJ KRUSH
1994 年の 1st アルバム『KRUSH』のリリースを 皮切りに、これまでに8枚のソロアルバム、4枚 のリミックスルバム、3 枚のミックスアルバムをワ ールドワイドでリリース。いずれも国内外の様々 なチャートの上位にランクインする。 6th アルバ ム『漸-ZEN-』(‘00)では、”インディーズのグラミ ー賞” といわれる米国 AFIM アワードにおいて" ベスト・エレクトロニカ・アルバム 2001" 最優秀 賞を獲得。 8th アルバム『寂』(‘04):CMJ(全米 カレッジラジオ)RPM チャートにて DJ 作品として は異例の3週連続1位を獲得。
その他、ハービー・ハンコック、k.d.ラング、ロニ ー・ジョーダン、など数々のグラミーアーティスト からリミックスを依頼され、高い評価を受ける。マ イルス・デイビス、Black Thought 、ガリアーノ、ピート・ロック、コールドカット 等々、数多くの世界的著名アーティストの作品に参加、リミ ックス及びトラック提供を行っている。
また、公演においては、英国最大の音楽フェスティバル、グラストンベリー(UK)をはじめ、 コーチュラ(米)、モントルー・ジャズ・フェスティバル(スイス)、ソナー(スペイン)ロスキルデ (デンマーク)など、世界各国で 200 以上の様々なフェスティバルに出演。クラブツアーに おいては、現在までに全 52 カ国/350 都市にて、延べ800 万人以上のオーディエンスを 魅了。現在も年間、約30カ所以上のワールドツアーを敢行している。
ピエール・ファッチーニ
英国出身のシンガーソングライター兼画家。
イタリア人の父親とイギリス人の母親の間にロンドンで生まれる。ファッチーニは、90年代始めにパリの美術学校エコール・デ・ボザールで絵画を学んだ、その後1996年に詩人のフランチェスカ・ビアードと結成したバンドCharley Marloweの一員として、ロンドンのミュージックシーンに登場する。これまでに『Leave No Trace』(2004年/プロデュース:ヴィンセント・セガール)、『Tearing Sky』(2006年/プロデュース:JPプルニエ)、『Two Grains of Sand』(2009年)、『My Wilderness』(2011年)、『Between Dogs & Wolves』(2013年)、『Songs of Time Lost』(2014年)の6枚アルバムをリリースしている。
ファッチーニは、これまでにバラケ・シソコ、ヴァンサン・セガール、ベン・ハーパー、ロキア・トラオレ、イブラヒム・マーロフなど、数々のミュージシャンやシンガーとレコーディングやコラボレーションを行っている。また、BBC『Killing Hitler』、Channel 4受賞作品『Testing God』シリーズやフランスのFanny Jean-Noel監督による『Move』を含むテレビや映画などの作曲も手がけている。
自身のアルバムをプロデュースするかたわら、他のアーティストのアルバムプロデュースも行っており、ブラジルのチェロ奏者兼シンガーDom La Nenaの『Ela』やJenny Lysanderの『Northern Folk』などがある。2012年には受注生産に特化した「Beating Drum」というレーベルを立ち上げ、音楽、芸術、文学を融合させたハイブリッドな作品、本/CD『Songs I Love』(2013)や、ごく最近だとレーザー・カット・ブック『I called out to the Darkness』をリリースしている。
2003年のデビュー・ソロ・アルバム『Leave no Trace』をレコーディングして以来、世界中をツアーで廻っている。最新アルバム『Songs of Time Lost』は、NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)にて2014年のワールド・ミュージック・アルバム部門トップ10、また、Songlinesのアルバム部門で同じくTOP10入りしている。
西藤 ヒロノブ
宮崎県生まれ。
2004年、スペインの名門レーベル、フレッシュサウンドレコードより日本人初のアーティストとしてCDデビュー。
2011年、第23回ミュージックペンクラブ音楽賞ベスト・ニュー・アーティストを受賞。
同年、Al Jarreau &JAZZ FOR JAPAN ALLSTARS featuring Hubert Laws,Tom Scott etc.の一員として、大阪と東京のビルボードライブでの公演に参加。
2012年、リチャード・ボナらが参加した5枚目のアルバム「Alfie」をリリース。
2013年、6枚目のアルバム「Golden Circle」をYamaha Music & Visualsよりリリース。
2014年、初のライブDVD をアトス・インターナショナルよりリリース。
これまで、米国モントレージャズフェスティバル、韓国Jarasum International Jazz Festival、NY Ukulele Festival、ブルーノートNYなどに出演。
ニューヨーク、ハワイ、ヨーロッパ、カメルーン、北中南米、アジア諸国、日本など世界各地で演奏活動を行っている。
アイバニーズギター(Ibanez Guitars)オリジナルシグネチャーギター「The Sea」を使用。その他、アコースティックギターをYAMAHA、ウクレレをKoAloha Ukulele (Oahu) Kamoa Ukeleles (Kauai)、アンプをMark Acoustic (Italy)、弦をDR STRINGS等とエンドースしている。
高橋英介
1969年、日本のグーループ•サウンズバンド、ズー•ニー•ヴーにギター担当として参加。ズー•ニー•ヴー解散後は、渡英しミュージシャンとして活動。その後、元キャロルの相原誠、坂本めぐみ、早苗ネネの4人にて "JABB" を結成した。現在は、八丈島に居住し、ミュージシャン・作詞・作曲家として活動。今回、サウンド•トラックとしてインサートされた八丈太鼓は、島に古くから伝わる伝統的な太古演奏を保存するとともにその貴重な音源を世界に伝えるため、1995年に高椅氏とホッピー氏が島の演奏者とともに制作したものである。
ホッピー神山
日本のキーボーディスト、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサーである。PINKのキーボーディストとして1983年にメジャーデビュー。PINK解散後は国内外のアンダーグラウンドシーンを中心に幅広く活躍。日本のアンダーグラウンドシーンを代表するミュージシャンとなる。世界中のアンダーグラウンド・ミュージシャンと親交を持つ。
神崎ひさあき
神崎ひさあき(KANZAKI)Sax奏者
日本ジャズ・フュージョンブームとなる『神崎オンザ・ロード』を結成。
1980年『OPEN MY ROAD』でデビュー。その後3枚のアルバムを残し1986年渡米。セッション活動後、1988年ラス・フリーマン、リッピングトンズ等を迎えアルバム『KANZAKI』をリリース。
帰国後は、数々のTV、CM音楽の製作、プロデュースなどの活動を積極的に行う。近年では、神崎作曲の『SO FAR AWAY』をマイケル・ホワイト(デヴィッドサンボーンBand)がアルバムタイトル曲としてリリース。
全米ジャズチャート(radio&recorde)第9位にランクインされ、コンポーザーとしても評価される。盟友マイケル・パウロ(sax)とのプロジェクト『エイジアン・ソウル・ブラザーズ』での活躍等、国際的な幅広い活動を展開している。
また、サンディエゴで毎年開催される大型野外ジャズフェスティバル『Temecula Wine and Music Festival』にも2007年より連続出演しており、米西海岸でも多くのファンを獲得している。